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概要

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小児科医が伝える「小さなうちから気にすべきこと」小児科医は総合診療子どもの疾患に幅広く対応小児科は子どもの総合診療と言われており、医師には風邪症状に加え、循環器や神経、内分泌、血液、腫瘍、感染症、腎臓、新生児など、すべての分野の疾患を診ることが求められています。そうした総合診療ができる医師になりたいと思い、小児科を目指しました。そのなかでも小児循環器を専門に選んだのは、診療内容が先天性心疾患や肺高血圧症、心筋症など、より緊急性の高いケースが多かったためです。子どもたちを助けるのに必要な、救命救急に近い迅速な蘇生技術を身に付けたいという思いが強かったですね。また、医学生時代に小児科の医局にいらっしゃった先生たちに憧れたのも大きかったと思います。皆さん人柄がよく能力が高かったので、自分もこの医局に入りたいと思いました。小児科医として必要な技術や知識を国内外で修得1987年に旭川医科大学医学部医学科を卒業して医師となり、すぐに小児科に入局しました。そこから地方病院をいくつか経て、4年目に旭川医科大学医学部附属病院に戻った際に小児循環器疾患を専門にしようと決めました。6年目には大阪にある国立循環器病研究センターに国内留学という形で1年間行かせていただきましたが、期間中は、世界的に高名な医師たちによる講演を聞いたり、日本の医療の最前線に立ちながら技術や知識を磨くことができ、非常に勉強になりました。その後は旭川医科大学医学部附属病院に戻りましたが、高校時代の恩師に言われた「世界で通じるような人間になれ」という言葉が心に残っており、国内留学の経験に加え、いつかは国外留学をしたいという思いを抱いていました。それを実現すべく、サンフランシスコのカリフォルニア大学に自ら手紙を出した結果、1998年から2年間研究という形で留学させてもらうことができました。人手不足の折でしたので同僚には迷惑をかけましたが、おかげさまで貴重な経験をさせてもらい、今でもとても感謝しています。国外留学後は、旭川医科大学医学部附属病院で小児科医として2013年まで在籍し、最後は准教授も務めました。その頃になると後進も育ちましたし、小児循環器をやり切ったという思いもあり、もともと目指した一般小児科医に戻りたいと考えるようやり切ったという思いもあり、もともと目指した一般小児科医に戻りたいと考えるようになったのです。ちょうど50歳という年齢もありましたので、いいタイミングかなと。その時に網走厚生病院の副院長職のお話をいただいたため、職場を変え、今年で11年目になります。小児科には一般外来のほかに神経や内分泌、腎臓、血液の専門医師が外部から定期的に出張にいらっしゃいます。私も大学病院在籍中は2カ月に1度、網走厚生病院に出張に来ていましたので、その時の患者さんの診察は今も続けています。一人ひとりに寄り添ってしっかりと話を聞く私が現場で大切にしているのは、相手の話をしっかり聞くということです。コロナ以降は不登校や、「原因がはっきり分からないけれどなんとなく体調が悪い」という不定愁訴の相談が増えています。そうした不安を少しでも解消できるよう、一人ひとりの気持ちに寄り添いながら話を聞くことが私の役割だと思っています。例えば不登校の子どもの場合、月に1度でも病院に来て話をすることで彼らの居場所ができたり、生活にリズムが生まれることもあります。重要なのは子どもの気持ちや行動を肯定してあげること。そうこうしているうちに何となく症状が良くなったりすることもあるのです。ほかにも、幼い子どもを抱えるご両親ののケアも小児科医としての大切な仕事です。12